エド・エフェメラ XI

Bibliographic Details

Title
エド・エフェメラ XI
Artist
ANONYMOUS / 不明
Year
Late Edo era(18 - 19c) / 江戸末期
Size
h210 × w180 mm
Materials
Paper / Gold leaf
Condition
Fair 経年劣化 傷有 プレートにより金箔による補修有

肉筆画 / 紙本着色

江戸時代に
謎の絵師が描いた
金色の絵画。

最初に目にとまったのが、顔の表情を白で隠してしまったかのような1点でした。

目にした瞬間「これはコンテンポラリー・アートではあるまいか!?」と思ってしまったのが運の尽きです。念のため、近くにいた古典籍を扱う若い同業者に時代を尋ねてみました。「詳しいことは何とも云えないけど、まあ江戸はあるでしょ」。主に近現代を扱うエフェメラ屋には「江戸はあるでしょ。」なんてなかなか言えないセリフです。格好いいぞ。

かなりざっくりとした捉え方ですが、エフェメラには ①美しいもの・面白いもの、②重要な意味をもつもの、③その両方を併せもつもの、があります。

西洋アンティークのお店などであれば、例えば「素敵なグリーティングカード」であるといった①の理由があれば店に置く資格は充分です。ところがいったん古本屋という場に移した途端、「何年の何のグリーティングカードなのか」といった内容や意味が問われるようになるから不思議です。①より②の方がむしろ重視されるのが従来の古本屋です。

古本屋としてエフェメラを扱う私が探すべきものはさらに条件厳しく③のレベル、つまり「美しく、かつまた意味のあるエフェメラ」が求められます。というか、求められている気がしています。

実にこれが手ごわい。そう簡単に転がっているものではありません。加えて、大抵のものに既視感を覚えてしまう近年はとくに、市場にどれだけ通っても買うべきものを見つけられなという事態に見舞われています。一言でいえば、煮詰まってる。そんな時には、理屈抜きに/単純に感覚だけで/いいな欲しいなと思うものを/無性に買いたくなってきます。

今回お目にかける12人・12点の人物図は、このように煮詰まりきった時にたまたま市場で出くわしてしまったものです。

「江戸はある。」以外何もわからないまま我が物にしたからには、あとはひたすらブツと対峙し対話し、どれだけ説明可能なのか探求あるのみということになりました。

さて、こまかく見ていきましょう。
先ず明瞭なのは、12点全て、草花や山水、賛など一切描かれておらず、人物を描くことに焦点を絞っていることです。シンプルな構成要素と、背景色の上に人物像を切り抜いてのせたかのようなフラットな表現が、現代美術やモダンデザインの印象に近づける結果となっています。

人物像だけで成立する絵画として、第一に想起されるのが歌仙図です。歌仙図の名品のなかにも賛がない作品があることは確認できましたが、しかし12人それぞれ人物の特定には至りませんでした。従って歌仙図であるとの断言は避けねばなりません。ただ、高名な歌仙図や絵師の作風で近似した作品が出てこなかったことで、むしろ贋作の疑いを排除することはできそうです。

もちろん、世に名を残す歌仙図などとは比ぶるべくもなく表現は単調で、どこかおとなしさを感じさせる一方、人物の表情や毛髪の線などに、繊細な筆致を見ることができます。しかし女人像2点の毛髪の描写には他の図像に見られない生硬な線描が認められ、また、顔料ののり方から受ける印象などから、上塗りされている可能性があります。男性像と女人像とで別の絵師が担当したという推測、或いは寄合描きという可能性も捨てられません。

大きさは12点すべて同じ縦21cm・横18cm。サイズが揃っていること、紙質が同一であることから、”屏風はがし”だと仮定しても、元々は同一の料紙に描かれていたのではないかと考えました。調べてみると室町時代の料紙の規定に「大色紙」縦19.4cm・横17cm、「小色紙」縦18.2cm・横16.1cmとあり、どうやら最もサイズが近い「小色紙」に描かれたものと思われます。ちなみに現在流通している「小色紙」の大きさは縦21.2・横18.2cmとさらにサイズが近づきます。

と、推測できることはここまで。

絵師を特定できるかと思っていた落款からの探索は空振りに終わりました。相変わらず描かれた人物についても何もいえないままです。年代を絞り込むこともできず、どこまでもアノニマスなエフェメラです。細かく見ていけばそれぞれに手柄もあれば瑕疵もある12点です。それでもわざわざ補修の手を入れてもらい、人の生命などよりよほど長くこの世に存在し続けてきた12点でもあります。

もしかしたらそのこと自体が最も雄弁に、この12点がもつ魅力を物語っているのかもしれません。

佐藤真砂のOne Point Lesson

現在では、主に寄せ書きや、サインなどに使用される色紙ですが、その歴史は古く、日本大百科には、「もともとは白紙に対して染紙一般の意に用い、すでに奈良時代の正倉院文書(もんじょ)にもみえ、現に正倉院に伝存している。」と記載されていました。『源氏物語』や『枕草子』には「白き色紙」の用例もあり、色の紙を表しています。一方、平安時代の中期から鎌倉時代にかけて、障子や屏風に書かれた風景画、寺院の壁画や扉絵に描かれた山水画や肖像画などの中に、その絵画にちなんだ詩歌を書く「色紙形」とよばれる形態が用いられるようになり、料紙として色紙を転用したことが、現在の源流とされていました。
     帝国データバンク史料館「色紙がつなぐ世界」より一部抜粋

和歌を書くべき料紙として使われた色紙が、盛んに使われるようになったのは、室町時代。その頃、しだいに色紙の寸法が決められ、さらにその書式も定められた。大色紙は、縦約19.4cm、横が17cm。小色紙は縦18.2cm、横16.1cmが規定のサイズとなり、書式については、歌の散らし方や、古歌を書く場合には作者の名前を入れるといった細かい約束事が決められた。最も多く使われたのは三十六歌仙で、三十六人の歌人の秀歌を1枚1首ずつ書いて、三十六枚を屏風に貼ったり、歌合せ式に左右に分けて、一双の屏風に貼りこむということが行われている。江戸時代に入ると、本阿弥光悦が嵯峨の角倉素庵の工房で、華麗な色紙をつくり、現在まで「嵯峨本」によって伝えられている。
     色紙屋「色紙の歴史」より要約

Text by 佐藤真砂