ペーパー・エンブレム Paper Emblem / no.7
Bibliographic Details
- Title
- EMBLEMAS DE AUXILIO SOCIAL
- Artist
- Anonymous / 不明
- Publisher
- AUXILIO SOCIAL etc.
- Size
- h320 × w230mm / sheet, h42 × w25mm/stamp
- Language
- Spanish / スペイン語
- Printing
- Letterpress printing / 活版印刷
- Materials
- Cardboard / 厚紙
Collected by an unknown collector / 無名のコレクターによる蒐集品、The misalignment of the plates on the reverse side is also somewhat amusing / 裏面の解説文が版ズレしていたりするのも、なんだか微笑ましい。
乱世のスペインで
女性社会活動家がはじめた
エンブレム募金。
こう書くと、良いことずくめの愛らしい紙モノように思われるかも知れませんが、実はフランコ独裁政権のプロパガンダを背負ったという側面も。その複雑な背景について、詳しくはテキストをご覧下さい。
フランコ独裁政権下のスペインで、1936年に設立された人道救済組織AUXILIO SOCIALへの寄付と引き換えに配られた紋章型の印刷物。公共施設や特定の公演などを利用する際に提示を求められることもあったという。紋章は多くがスペインに伝わるもので、裏面には短い解説文が印刷されている。紋章のモチーフは騎士、剣、城、盃、太陽など象徴的なものから道化師の靴、洋梨といった変わり種まで多様。スタート当初は金属製だったとも伝えられており、厚紙にエンボス加工という体裁は金属製当時の名残か。
日本の古書市場には、たまに海外の珍しい紙モノがまとまって出てくることがあります。紋章をかたどったようなこの商品も、日本の市場で落札しました。ところどころに欧米の方たち独特の筆致で整理番号を書き付けた紙が挟まれていたことから、海外のコレクターか業者からまとめて買ってきたものではないかと思われます。
デザインは日本の紋様にも似てどれもシンプルで瀟洒。見る度に発見こそあれ見飽きることがありません。同じサイズで並ぶさまもコレクター心をくすぐります。この手の小さなカードで最もよく見かけるのはタバコのオマケとしてパッケージに封入されていたタバコカードなのですが、このような変形判は見たことがありません。何だろうと首をひねっていると、店に入荷したのを目にとめたお客様が携帯電話を駆使して「スペインの赤い羽根のようですよ」 と教えて下さいました。
この教えを糸口に、検索を重ねてたどりついたのが、今回初めて知ることになったAUXILIO SOCIALという組織です。この組織、スペイン内乱の際、困窮した人たちに支援の手を差し伸べたというのですから、なるほど、その精神は日本の赤い羽根と同じです。問題はその先にありました。曰く、フランコ政権にとって重要なプロパガンダとなった。曰く、女性指導者(設立者: メルセデス・サンス・バチヤー / Mercedes Sanz-Bachiller, 1911-2007)たちは自分たちの範とすべくナチス・ドイツへの視察旅行を頻繁に行った……どうも雲行きが怪しくなってきました。
どんなに小さな印刷物でも、世にあるからには必要あって生まれたものであり、何かしらの歴史を背負っています。愛らしい姿や涼やかな顔の向こうから、時に全く想像していなかったような相貌が透けてみえてくることもあります。天網恢恢疎にして漏らさず。仕事を通じて私は、どのような事象をとっても ”全てなかったことにする” のはなかなか難しいということを教えられてきました。一見とるに足りない正体不明の印刷でも、モノさえ残れば、いつかどこかで、その存在理由を知りたがる人がひとりくらいは出てくるだろう……古本屋というのはつまり、そうした方たちへと歴史のかけらを届けるための中継ぎであり、延命装置であるのかも知れません。このエンブレムもいつかどこかで存在理由を問う次の人が現れるまでの間、一時、その姿を楽しみながら大切に預かって下さる方の手にわたる日を待っています。
ある時、普段は日仏文化交流関係の資料を集めているお客様が、実は密かに「世界大悪人コレクション」の形成を目論んでいるんだと云って笑っておられたのを思い出しました。わざわざなぜそんなことを?この疑問に、最近になって答えらしきものがみえてきました。負の歴史の痕跡は現場から遠く、知られていないところに残しておいた方が良い。利害と、都合と、はき違えた誇りによって、握りつぶされてしまわないように。
歴史を探求するための種を、人はおそらく、そのようにして蒔いてきたのだろうと思います。
Text by 佐藤真砂