曹雪芹紮燕風箏圖譜
Bibliographic Details
- Title
- 曹雪芹風箏圖譜(漢聲雑誌116+117)
- Artist
- Huang Yongsong / 黄永松
- Editor
- Wu Meiyun / 呉美雲
- Designer
- Xi Song / 奚淞、Yao Mengjia / 姚孟嘉
- Director
- Huang Yongsong / 黄永松
- Images
- Fei Baoling / 費保齢
- Publisher
- ECHO PUBLISHING CO., LTD., / 漢聲
- Year
- 1998
- Size
- book: h338 x w260x d8 mm, h338 x w260x d10 mm / case: h344 x w270 x d26 mm
- Weight
- book 1,020g / with case 1,200g
- Pages
- 92(No.116) / 68(No.117)
- Language
- Chinese / 繁体字中国語
- Binding
- Japanese binding / 和綴じ製本
- Materials
- Paper
- Condition
- Good
弱きもののために
«紅楼夢» の曹雪芹が伝えた
幻の燕凧指南書。
箱は燕凧の輪郭が型抜きされ、表紙で虹色の空に燕型の凧が泳ぎ、73種もの鮮やかな燕型凧が、ページを捲る度に現れる様子は迫力満点。中国独自のエキゾチックな魅力と大胆な民族性を感じさせることから、海外からの評価も高く、2007年にはドイツ・ライプツィヒで行われた世界で最も美しい本コンクール(BEST BOOK DESIGN FROM ALL OVER THE WORLD)にて大賞を受賞しています。
『曹雪芹紮燕風箏圖譜』は、視覚的な美しさが際立つ本ですが、実は奥深い精神的な美しさを持ち合わています。
2冊セットの1冊目は『曹雪芹紮燕風箏圖譜』。名前の通り絵図を軸に全73点の燕凧を彩色で紹介、構造やつくり方のコツはもちろん、凧の系譜(家系図のようなもの)まで記された内容の豊富さは、ほかに類例がありません。本来玩具である凧を擬人化させ、老若男女や体型、相互関係から系譜を編み出している点から、曹雪芹自身が燕凧を大切にしていたことが伺えます。2冊目は『曹雪芹扎燕风筝考工志』。考工誌とは、中国最古の技術書の名称で、現在でも楽器の製造や都市計画など、構造・規格・製作技術に関する専門書に用いられる言葉です。この本では主に燕凧づくりに欠かせない「歌訣(がけつ)」すなわち「うた」を紹介。1冊目が視覚的な美しさとすれば、2冊目がこの本の精神的な美しさの源泉と言えます。
そもそも、曹雪芹は当時(刊行年不明、そもそも刊行されていない可能性がある)原著『南鹞北鳶考工記』を全8シリーズ『廃藝斋集稿』の内の1冊として刊行しました、全シリーズに共通したコンセプトは、生活弱者のための職業指南。障害を持った人や貧しくて教育を受けられない青少年、高齢者など、社会的に弱い立場の人に向けて、同情よりも技術を託し、自活力を養うことこそが、彼等の生活環境の改善につながる、という志のもと書かれた実用書だったのです。同シリーズは、ほかに調理や造園、篆刻や染織などそのテーマは多岐に渡ります。
テーマの1つに燕凧づくりを選んだきっかけは、曹雪芹の友人が脚を患い、生活が立ち行かなくなり、曹雪芹に助言を求めたことでした。曹雪芹は手に職を持つことが根本的な改善になると考え、もともと手の器用だった友人に燕凧のつくり方を伝授し、富裕層に売りに行くように指導しました。計画は見事に成功し、翌年この友人はたくさんの御礼の品を携えて曹雪芹を訪ね、感謝の意を伝えました。この出来事をきっかけに、曹雪芹は自分も得意だった燕凧づくりの基本とコツを絵と歌にまとめ、一冊の本として綴じたのです。本書の発行者であるHuang Yongsongは、特にこのきっかけを突き止めたことで、本書の刊行を決意したのだと、熱っぽく話してくれました。
シリーズを通して特筆すべきは「歌(歌訣)」にあります。シリーズ中、説明、解説はすべて歌として記されているのです。これは、文字の読めない人でも、目の悪い人でも、子供でも、歌を口ずさむことで、その技術を自然と習得することができるように、という曹雪芹のやさしさ、配慮でした。この歌は、日本の短歌や和歌に似て、ドレミのような音階はなく、中国語独自のリズムや韻を踏む詩歌のようなものです。
底本『南鹞北鳶考工記』と『廃藝斋集稿』シリーズについて:
つい数年前まで著者が曹雪芹なのかさえ確証がなかった底本は謎多き幻の本です。正式に刊行された記録は残されておらず、実物を見たことがあるのは、戦時中に現中国美术学院の前身、国立芸術院及び国立芸術専科学校で教鞭をとっていた日本人教師、高見嘉十と、その生徒数名、そして原著の所有者とされる金田という日本人のみ。高見嘉十たっての希望で、金田に燕凧づくりの原著の貸し出しと写本の許可を申し込み、1ヶ月という限られた時間の中で写し終えた一部が、『曹雪芹紮燕風箏圖譜』の底本です。残念ながら同シリーズのほか7冊については、わずかな記録も残されていません。更に悔やまれることに、1945年終戦と同時に金田は原著を持って日本へ帰国、その後の行方はわかないまま、幻の本となってしまいました。