無名写真家による芸術写真集

Bibliographic Details

Title
無名写真家による芸術写真集
Images
41 photographic prints / 41枚の写真プリント
Year
1939-1942 / 昭和14-17年
Size
H240 × W275mm
Weight
1730g
Pages
2 books, 1 set / 2冊組1セット
Language
Japanese / 日本語
Binding
Ring bound book / リング製本
Condition
ファイル(スケッチブック)の余白部にインクシミ有

1940年前後に
無名の写真家が写した
逝きし都の面影。

断捨離や家仕舞いの際に多くの人が処分に困り、結局捨てられることになるもののひとつに写真アルバムがあります。なかでも、人が生まれてから亡くなるまでの歴史をたどるかのような個人のアルバムは、その人のことを直接知らない世代が引き継いだ途端に処分されてしまうものの筆頭といってもよいほどです。その気持ち、よく分かる。分かるのですが、ここは一度考えていただきたい。素人の写した写真が、ネガやポジ・紙焼きやスライドといった質量をもつ物体として、大量に生まれ残された時代というのはせいぜい20世紀の50~60年間のこと。長い人類史からみると、ほんの僅かな一瞬です。年表の上で指し示せば、鋭利に尖らせた鉛筆の先でうがつ、小さな小さな点ひとつ分になるかならないか。我々は断捨離という美名のもと、この特異点のようにして現れたメディアの数を、日々どしどし減らしていることになります。いいのか、捨てる一方で?
 
毎日のように東京のどこかで開かれている古書や古物の業者向けの市場には、同じように考える同業者の存在ゆえか、はたまた万にひとつも化けてくれればという僥倖心あってのことか、個人が撮影した写真が必ず出品されています。正直なお話し、家族の成長と観光旅行など、よくある記念写真で埋め尽くされたいわゆる普通の写真アルバムは、ほとんどがダメです。買い手がつかないか、売れても僅かな金額にしかなりません。「いいのか、捨てる一方で」なんて啖呵をきっておきながら何ですが、残念ながら捨てていただくしかありません。

我々古本屋が市場で色めき立つ写真アルバムは、第一に、記録として意味をもつものです。例えばいま、日中戦争~第二次世界大戦の間に兵士が戦地で撮影してきた写真は、クオリティと撮影対象の珍しさなどにもよりますが、驚くような値段がつくものがすでに多数存在しています。また、1964年のオリンピック前後の東京を写した写真がいままとまって出てきたらとしたら、相当な落札価格になることを覚悟して入札に臨むことになると思います。もうひとつ、見過ごせないのが、作品として成立している写真です。とくに、アマチュア写真家が撮りためたこうした写真にまで注目している古本屋は、記録写真を扱う同業者と比べて桁違いに少ないものの、必ず複数の札が入っていて、捨て置けないと思う同業者の存在を怖ろしくも頼もしく感じます。

前置きが長くなりました。今月、私がお届けする1冊 (正確には2冊で1組になります) は、昭和14年から17年(1939年~1942年)にかけて、写真を趣味としたアマチュアカメラマンが、「芸術写真」を意識して東京とその近郊で撮影した風景写真の一群です。

アマチュアの間にも写真趣味が拡がった日本写真史の黎明期、写真は芸術作品であるとの認識・評価を促そうと、写真を使って絵画的な作品を制作する潮流が生まれます。資生堂初代社長・福原信三とその弟の福原路草、淵上白陽、野島康三といった写真家が指導的役割を果たしたこうした絵画的な作品は、「芸術写真」と呼ばれてアマチュア写真家にも大きな影響を与えました。日本の「芸術写真」の特徴として、撮影対象が風景や自然であること、日本画的要素の加味や抒情性の重視などが挙げられますが、今回取り上げた東京市下谷区御徒町在住のアマチュア写真家・西山誠二郎氏の作品は、どれをとっても必ずこうした特徴を指摘することができるという点で、戦前の「芸術写真」の典型的な作品例となっています。また、カメラ雑誌の応募用に、トリミングの指定や裏書を入れた自信作も残されるなど、作品には一定のクオリティが保たれています。

作品の特徴のなかでも、とりわけ目立つのはその抒情性です。雑誌『フォト・アート』に応募した痕跡の残る「浅草公園被官稲荷・朝・靄」と題された昭和17年の作品や、前年に撮影した美容室と銭湯らしき建物とが並ぶ「西新井」といった写真は、一体いつの時代なのか、そして、果たして現実なのか幻なのか、一瞬とまどうような印象を強く残します。また、雑司ヶ谷鬼子母神や池上本門寺付近で撮影した子どもの姿が写る写真からは、子どもたちが交わす会話や背景にあるエピソードまで脳裏に浮かんでくるようです。「埼玉県蕨駅付近・夕・曇」に撮られた「田上運送部」の運送手段がトラックではなく馬だったり、「小田急線豪徳寺・経堂間」は電信柱の他は畑と藪しかないなど、およそ100年を経て、東京とその近郊から完膚なきまでに一掃されてしまった風土と文化と人の営みの記録としての意味も、決して小さくはありません。

暑い季節が過ぎ、歳末が見え始めるこの季節、「今年こそ断捨離を」とお考えの方も多いかと拝察します。一度捨ててしまったら二度と取り返しのつかないもののなかに、西山氏と同じような視点と感性とをもってすくい上げられた時代の痕跡が残されていないかどうか、ぜひ、注意深くご覧になってみて下さい。失われてしまう時代の記憶を糧に生きる古本屋からの、これは切なるお願いです。

Text by 佐藤真砂


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