印判図案手鑑(銅版転写紙のコレクション)
Bibliographic Details
- Title
- 印判図案手鑑(銅版転写紙コレクション)
- Artist
- ANONYMOUS / アノニマス
- Publisher
- 私家版 / Private Collection
- Year
- 明治時代(19世紀末~20世紀初め)
- Size
- h184 × w238 × d30 mm (1冊あたり)
- Weight
- 1900g for 3 sets
- Binding
- 経本折り / accordion fold
- Materials
- Paper
- Condition
- As New / 極美
3冊セットの内2冊は染布に木版題箋、1冊は織布装に金ちらし題箋貼付(但し無題)。3冊ともに折本の両面を使い、①見開きを1面として32面・銅版転写紙約230点、②同32面・約210点、③同27面・約260点/①~③銅版転写紙計約700点所収(裏印など小片含む)。図案は花鳥風月、龍、鳳凰、麒麟、風狂人図、桃源郷図、唐子、田植え風景、漢詩など全体に東洋趣味の傾向が認められる。細密精緻な図版多数。
いまから100年前に
日用雑器の世界を変えた印判シール。
その幻の図案集が発掘されました。
「印判(いんばん)」とは、印刷によってやきものに絵付けをする技法のこと。そのような陶磁器を総称して「印判手(いんばんで)」と呼びます。おなじ模様の器を量産するための染付技法であり、とくに幕末・明治以降は型紙摺、銅版転写が多用されました。他にコンニャク印判やゴム判などがあります。
この「印判手」、実はシールを使って絵付けされていたのだと教えてくれたのは、蚤の市の露店のおやじさんでした。私がまだ20代の頃のことです。印判手の器をよく見ると、図案が重なっていたり、連続模様の一部がすぽっと欠けていたりすることが少なくありません。なるほど、シール状の紙を巻きつけたり、顔料の側をこすりつける時にヘタをすると、この手のキズが生じるのは自然なことだと思われました。以来、蚤の市や古道具屋に行くたび「シール」という言葉を気にしながら、しかし一向にそれらしきものは現れず、ところが唐突に、その「シール」とやらに出くわす日がやってきます。普段私が通っている古書を扱う市場でのことでした。
市場に出品されていた際の品名は確か「図案集」とだけ。実際、コマ絵毎に切り取った図版も多く、図案集か図案控え、あるいは出来の良い下絵をあつめた類と思ったところで不思議はありません。ただ、描線の太さや色ののり方が均一でムラがないこと、顔料が幾分盛り上がっているように見えるなど、これまで扱ってきた図案集や下絵、見本帖などとは明らかに異なる点が気になりました。いま思えば当然ですが、最初に浮かんだのは東洋趣味の銅版画集といった印象でした。
これこそが長年自分の目で確認したいと思っていた「やきもののシール(=「印判」)」だと確信したのは、皿や茶わんの「口縁」に沿うようにアールを描き帯状に展開される図案と、ちょうど「見込み」の部分にあたる図案とが、実際に器になった時の位置関係を再現するように貼られている面を目にしてのことです。こうして意図的に整理された貼り込み部分は、このコレクションが何であるかを語りかけてくるだけでなく、この3冊のコレクションのなかでもとりわけうつくしい面を形成しています。コレクションとは、旧蔵者が意思と意図とをもって蒐集し、蒐集品の性格をよりよく示すように保存することで、意味をくみとる人が現れるのを待つ、秘められた言語のようなものなのかも知れません。
さて、肝心のシールこと「銅版画転写紙」に注目したいと思います。念のために申し添えれば、やきものの印刷技術である「印判」には、他に型紙やゴム判を使うものなどもありますが、明治時代に「シール」のような形態をとっていたのは「銅版転写紙」だけとみられます。「銅版転写紙」は、銅版画の技法で図案を彫り付けた版面を使い、紙に絵付用の顔料を印刷し、印刷された顔料を紙から器面に転写するというもので、当品所収の転写紙にはごく薄い和紙が使われています。顔料が器に写されると和紙ははがしとられてその役目を終えます。
図案は、いずれも元となった銅版画の描線を細部までよく写しています。また、図案をなぞれば描線部分の盛り上がりが指先にはっきり感じられ、顔料が紙の上にしっかりのった印刷精度の高いものであることが分かります。
顔料の色は焼成後と同じ青を中心に緑、黒、茶が使われているものがある他、版画の空刷りのような仕上がりが予想される白一色というものも。
この3冊のコレクションに見られる最も顕著な特徴は、何より図案の意匠にあります。国内でよく目にする「印判手」とは比べものにならないほど繊細で精緻な意匠には、日本趣味だけでなく中国趣味を思わせるものも多く、「印判手」のなかでも上物、とくに海外輸出向けにデザインされた商品の転写紙が多く採られたものとみられます。「印判手」によりやきものの大量生産が可能になったのは明治中期。ちょうど殖産興業と貿易振興という二つの政策が政府の重要課題とされた時期にあたります。輸出向け商品の開発は、当然やきものにも求められたはずです。
実際に欧文そのものが表記されている転写紙もありました。1890年~1910年頃に流通していたアメリカの「MAGDA TOILET CREAM」の陶製容器のもので、日本製のこの容器は、いまも蒐集対象となっています。
器の絵付けに印刷=「印判」が導入されたことで、専門の絵付け職人の必要がなくなり、やきものの大量生産時代が始まりました。こうして生まれた「印判手」は、明治の鉄道網の発達とともに、流通範囲も拡大したといわれます。江戸時代後期、ヨーロッパから日本に銅版画の制作技術が伝わっていたことも見逃せません。銅版画の陶磁器への技術転用については日本独自の研究が加わったとされますが、「日本で初の銅版転写の陶磁器が何処で作られたか(中略)未だその史実は解明されてはいない」※といいます。例えばコンニャク版の詳細など、「印判」全般にまだまだ多くの謎が残されているようです。
ただ、技術の発達や東西文化の融合によってうみだされた「印判」が、陶磁器界、しいては日本人の生活にもたらしたインパクトは計り知れないものだったことに間違いありません。
ご興味をお持ちの方は是非一度、骨董市に出かけてみることをお勧めします。当品所収の図案と比べるといささか素朴な意匠が多いものの、転写紙のズレや転写時のにじみや欠けなど「印判手」にはひとつとして同じものはありません。手作業の痕跡を残す多彩な表情の生活雑器を、いまならまだ手軽なお値段で持ち帰ることができるはずです。
印判の骨董品も少しだけ在庫がございます。ご興味のある方はご連絡ください。
Text by 佐藤真砂