漱石本の装丁美術スクラップブック
Bibliographic Details
- Title
- Scrapbook of Design & Illustration from the original books of Soseki Natsume / 漱石本の装丁美術スクラップブック
- Author
- Anonymous / 作者不明
- Artist
- Soseki Natsume/ 夏目漱石
- Year
- About 1917 / 大正6年頃
- Size
- h274 × w380mm
- Weight
- 1430g
- Pages
- 77
- Language
- Japanese / 日本語
- Binding
- Unbound / 未綴じ
- Materials
- Paper / 紙
- Edition
- Unique / 1点もの
- Condition
- Binding has partial loss and burning. / 装丁の部分的な欠損や焼けあり
Scrapbook-style collection of cut and pasted binding, illustrations, and back matter of Soseki Natsume's books published from 1907 to 1917 / 明治40年から大正6年までに発行された夏目漱石の装丁・挿画・奥付などを切り貼りしたスクラップ形式のコレクション。
夏目漱石の
装丁と挿画だけをあつめた
偏愛的スクラップブック。
新しい年がやってきました。2023年の年頭にご紹介するのは、日本の近代文学史上、欠くべからざる作家であり、王道中の王道・夏目漱石にまつわるものでありながら、文学カテゴリーにおける一般的なコレクションとは一線を画すとてもユニークなものです。品物について簡単に説明すると、明治の文壇デビュー以降、大正中期までに刊行された夏目漱石の著書(書籍)から、表紙まわりの装丁部分、デザインの施された見返しと扉、挿絵、そして序文・奥付といった書誌情報の部分だけを剥ぎ取り、切り出し、台紙に糊付けしたもの、ということになります。書籍の数としては15冊分、台紙の数ではB4サイズ76枚、B5サイズ1枚の合計77枚を数える未綴じのスクラップです。
著書の多くは四六判よりひとまわり大きい菊判で、装丁部分だけをとったプレートとはいえ、漱石の書籍らしいずっしりとした存在感は健在です。装丁部分をはじめ挿絵や扉などのほとんどが多色木版刷であり、こうして1点毎にプレートにしてみると、それぞれが独立した作品といってもおかしくないクオリティをもっていることが際立ってみえてきます。それもそのはず、当時の文壇を代表する一流の売れっ子作家に相応しく、漱石の書籍の装丁や挿画には、錚々たる画家・デザイナーが携わっていました。
77枚の陣容は、次のようになります。
橋口五葉、中村不折、浅井忠が関わった『吾輩ハ猫デアル』上中下の3冊から17枚、橋口と中村による『漾虚集』15枚、橋口の『鶉籠』と『草合』がそれぞれ6枚、同じく橋口の『彼岸過迄』と津田青楓の『明暗』が各5枚、橋口の『三四郎』『行人』『虞美人草』が4枚ずつ、こちらも橋口の『門』『それから』『四篇』が各3枚、漱石自装の『硝子戸の中』が2枚。FRAGILE BOOKSの読者の方には釈迦に説法となりますが、橋口五葉はアール・ヌーヴォー調の装丁で知られる画家で装丁家。洋画家・書家の中村不折にとって、当コレクションを収められている『吾輩ハ猫デアル』の挿絵は代表作とされています。浅井忠は洋画家・教育者で明治末から大正の初めには早くも作品集や図案集が発行されました。津田青楓は画家で書家、昨年は松濤美術館で展覧会も開かれました。ビジュアル要素と同様に、台紙に貼って残されている奥付が、『門』(明治44年)と『明暗』(大正6年)の2冊が初版であり、その他は再版か12版までの重版からとられていること、そして、使われた書籍の発行年が明治40年(1907年)から大正6年(1917年)までの約10年の間におさまることを教えてくれます。
ご存じかも知れませんが、日本国内の古書組合に加盟している業者が商品を出品している古書・古本・古雑誌の検索サイトに「日本の古本屋」というものがあります。このサイトで検索をかけてみると、『門』の初版・完本は20万以上、同じく初版・完本で比較的数が残っているとされる『明暗』でも10万前後。まさかいま、10万円を超えるような本にカッターやハサミを入れようという人がいるとは思えません。いまとなっては不可能なコレクションだといえるでしょう。
台紙に貼り付けた旧蔵者による題箋の手書き文字も古めかしく、切り取り方も至っておおらかなもので、なかには背の焼けや元装の段階から部分的な欠けがあったとみられるものもあり、漱石の書籍がヴィンテージでもアンティークでもなく、ユーズドとしまだまだ買いやすかった時代にかたちづくられたものだろうと思われます。一般に作家、とくに文学作家に付随するコレクターズ・アイテムというと、先ず頭に浮かぶのが初版本だろうと思います。初版であるのはもちろんのこと、完本・美本であれば尚良しという、いささか処女信仰めいた文学書の蒐集は、長らく日本の古書マーケットを支えてきました。原稿や書簡といった自筆ものは別にして、むしろ、文学書のカテゴリーのなかで、初版本、或いは美麗で趣味性も高い限定本の蒐集以外に何があるのかと思われる方のほうが多いかも知れません。ところが、当コレクションの旧蔵者の関心はただ1点、“漱石の本に備わった美術的・デザイン的な要素”だけだったとしか思えません。
例えば小村雪岱や竹久夢二が装丁した本のコレクターはたくさん居ますが、しかし本の体裁をしているものをわざわざ本から剥がし取り、切り抜き、貼り付けて保存しているような例は、これまでのところ他にみたことがありません。そもそも愛書家、文学愛好家にとって、このコレクションにみられる本をバラすような行為は野蛮なことであり、愛書家の風上にも置けないはずです。
話しは少々逸れますが、デビュー当時から人気が高く、瞬く間に国民的作家に上りつめた文豪、夏目漱石には、面白いことに初版本以外にいくつものコレクターズ・アイテムがあります。例えば書き損じの原稿用紙。「漱石山房」と印刷された原稿用紙に数行でも漱石自筆の書き付けがあれば、数万ではききません。いまだにそれだけたくさん欲しい人が居るということです。
この他にも、例えば『吾輩ハ猫デアル』のヒットにあやかった”吾輩もの” - 『猫』発行の1905年から第二次世界大戦が終結した1945年の間に限定しても、吾輩は猫被りである、吾輩は犬である、吾輩は鼠である、吾輩は蚕である、吾輩はムッソリーニである、といった作品名が拾えます - のコレクターや、作品をひとつ決めて年代や表現形式などに一切縛られることなくあらゆる本をあつめている人の話などは比較的よく知られているかも知れません。小店にはかつて、夏目家で使用されたあらゆる検印をあつめようとしたお客さまもいらっしゃいました。
朝日新聞に連載された漱石の小説は、刷られた端から新聞社内の印刷工に読まれたといいます。そのなかに、書籍化されるまでの無聊を慰めるべく、活字で組んだ刷版を解版する前にそこだけ余計に刷っておき、連載終了後に綴じつけて、シンプルな冊子をつくる知恵者が現れました。つくられたのは僅かに数十部、今日まで伝わっているものとなると本当に僅かなものだろうといわれるその冊子は、後に『社内版』と呼ばれ、漱石にまつわる本のなかでも稀覯本のひとつに数えられるようになります。『社内版』についてはお客さまの依頼をうけて一度だけ落手したことがありますが、実に質素な体裁でありながら、稀覯本と呼ぶにふさわしい立派な落札価格となりました。体裁とは到底釣り合わない落札結果に恐縮する私に、ご依頼主がかけて下さった言葉はいまも忘れられません - 「そうまでしてでも読みたいと思う人たちがつくった本なんです。もしかしたら、世界で一番幸せな本なのかも知れませんよね」。
文学書についてはほとんど何も知らない古本屋が云々できることではありませんが、こと、いまに至るも敬愛する多くの読者をもつ夏目漱石に限っては、どのようなコレクターがいたとしても不思議はないと思っています。このコレクションが生まれた経緯も動機も、いまとなっては一切分かりませんが、しかし、本を解体するという”愛書家禁断の領域”にまで踏み込んだこの一連のスクラップの背景には、きっと、いうにいいわれぬよほどの理由か、やむにやまれぬ何らかの衝動があったのだろうと想像します。 そんなことを思いながら77枚のプレートを改めてみていくと、一見、無造作な切り抜き方まで、不器用な、そして精一杯の愛情のようにみえてきます。
Text by 佐藤真砂
>夏目漱石の「社内版」はこちらから https://serai.jp/hobby/75253