杉浦非水のデザイン絵はがき
Bibliographic Details
- Title
- Hisui Sugiura designed postcards / 杉浦非水のデザイン絵はがき
- Artist
- Hisui Sugiura / 杉浦非水
- Publisher
- Heiwado Kamigataya / 上方屋平和堂
- Year
- Taisho - Early Showa Period / 大正時代~昭和初期
- Size
- h143 × w91mm
- Weight
- 4g each / 各4グラム
- Pages
- set of 9 / 9枚セット
- Language
- Japanese / 日本語
- Printing
- Woodblock, Stencil, Lithograph / 木版、ステンシル、リトグラフ
- Materials
- Paper(standard postcard) / 紙
- Condition
- Unused / 未使用
A set of 9 postcards, only one unused stamp is affixed / 9枚セット、「木瓜」の宛名面に切手(一銭五厘)の貼り付け有
カザルスやブランクーシと同じ年。
日本のグラフィックデザインを変えた
杉浦非水のエフェメラ。
何しろ杉浦非水(1876-1965)です。いまさらいうまでもなく、私なんぞが書き加えるべきことなど何もありません。何しろ日本のデザイン史に関する著書やサイトで非水に触れていないものを見つけることの方が難しいほどの、近代日本グラフィック・デザインのパイオニアです。
杉浦非水は、初代の地下鉄ポスターをはじめ、三越呉服店(のち三越百貨店)など、戦前、日本有数の企業の広告や様々な印刷物のグラフィック・デザインを手掛けました。「響」や「光」などのタバコのパッケージなどでも有名です。輝くばかりの作品を陸続と世にだしたのはもとより、日本のグラフィック・デザインの地位向上を目指して同人組織を結成しては東奔西走、1935年からは多摩帝国美術学校、多摩造形芸術大学、多摩美術大学の校長・理事長を歴任するなどまさに八面六臂の活躍ぶり。こうして輪郭をなぞっただけでも充分、どれほどの人物だったかうかがい知れようというものです。
生前よりすでに第一線で活躍していた杉浦非水のエフェメラは、自然、相場も堂々たるものとなります。ポートフォリオに木版刷の図案プレートを収めた作品集となると、最低でも数十万円、ものによっては100万円前後が相場となります。非水生前の刊行物で、木版やステンシルなど、オフセット印刷と異なり、一種の版画作品としての価値が付加される〝非水デザイン〟のなかでは比較的買いやすく、なおかつ、まだまだ集める楽しみが残されているのが、非水がデザインした絵はがきではないかと思います。非水のデザイン絵ハガキがどれほどの点数存在しているのかはっきりと把握しているわけではありませんが、それなりに種類はあって蒐めがいがあります。何より、サイズが揃っていてかさばりにくいというのは、とくにいまの時代のコレクション・アイテムとしてみた場合、有利な条件が揃っていると思います。非水の絵はがきは、いまからでも決して遅くないコレクターズ・アイテムです。
今回ご紹介する非水デザインの絵ハガキは9種9点。全点「上方屋平和堂」が発行した「非水図案絵葉書」のシリーズです。絵ハガキそれぞれにシリーズ名がクレジットされている他、図案内には「ひすい」もしくは〝〇に非の字〟のマークが認められます。「上方屋平和堂」は蕗谷虹児の絵ハガキや、加藤まさをの抒情絵はがきで知られる版元。作品複製の上での再現性等、当時高い技術をもっていたものと思われます。「非水図案絵葉書」の版元としても不足なく、木版やステンシル、リトグラフなど、図案によってなじみの良い手法を選んで刷られています。
今回の絵はがきでは、「孔雀」「雛」と題された2枚が木版刷、「梢の秋」「赤トンボ」がステンシル、「木瓜」「秋の川」と無題3枚がリトグラフ(または特色印刷)ではないかとみられます。また、宛名面のデザインも - 開きにしたツバメのような切手コーナーや特徴的な欧文など - なかなか愛らしい。
日本画家を目指して上京し、東京美術学校(現:東京芸術大学)日本画選科に入学した非水でしたが、在学中に師事した黒田清輝に洋画や欧風図案の指導を受けると図案家へ転向。アルフォンス・ミュシャなどの広告印刷物を日本に持ち帰ったといわれる黒田の影響もあってか、杉浦のデザインは、第一に、流麗なアールヌーヴォー風の様式に特徴があるとされていますが、今回ご紹介する絵葉書はいかにもヌーヴォーらしい数枚をのぞけば、ひとつの様式におしこめてしまうことのできない多彩なデザインが展開されています。
ところで杉浦非水の妻は杉浦翠子の名前で知られる歌人です。翠子が戦後昭和22(1947)年、疎開先である軽井沢で発行した短歌同人誌に『不死鳥』があります。物資の乏しい当時、表紙から本文ページまで藁半紙に孔版刷で上梓されたこの雑誌、質素な佇まいながら、表紙画は杉浦非水が描きました。孔版の特性から考えて、表紙のガリ切りを担当したのは非水本人だった可能性が十分あるわけで、とするとこれは非水の肉筆画に限りなく近い貴重品。また、『不死鳥』は、後に歌集『さんげ』としてまとめられる正田篠枝の原爆短歌の初出誌としても重要な意味をもつ雑誌です。なかなか入手の難しいこの雑誌、元版が1冊、在庫にあったはずなのですが、引っ越しのごたごたでいまだ行方不明。かくして古本屋の引越し、完了までにはまだまだ時間がかかりそうです。
Text by 佐藤真砂
«FRAGILE BOOKSより»
杉浦非水がデザインした絵葉書は、当時はさぞ人気だったことだろうと思う。葉書1枚を送るための切手が一銭五厘だったその時代(「一銭五厘」は、当時召集令状や死亡通知を郵送するために必要な切手代、転じて兵士は葉書一枚程度の値という意味でも使われる)は、いまとは違ってだれもが日常的に家族や恋人に宛てて葉書を送っていた、そんな文通社会だった。
この葉書の持ち主は、よほどこの9枚の葉書を大切に持っていたようだ。そのうちの1枚には切手まで貼っておきながら、やはり一文字も書かず、葉書としての機能を一度も発揮させることなく、手元に置いておいたのである。
佐藤さんの扱うエフェメラは、一過性の宿命を背負うものたち。それらは、使われるために生まれ、やがて捨てられる運命にある。ただ、稀にその儚さの虜になる人の仕業によって、僅かなエフェメラたちが長い月日を生き延びてきた。この9枚は、杉浦非水の活躍した時代に生きた名もなき者たちのくらしを写す鏡としても味わいたい。