The Libraries: Diane Arbus / ダイアン・アーバス

Bibliographic Details

Title
The Libraries
Author
Arbus, Doone And Diane
Artist
Diane Arbus / ダイアン・アーバス
Editor
Mary Bahr
Designer
Yolanda Cuomo, Kristi Norgaard
Images
Photo by Megan Lewis
Publisher
Fraenkel Gallery
Year
2004
Size
h195 x w290 x d26 mm
Weight
790g
Pages
32 pages + 12 pages Bibliography
Language
English / 英語
Binding
Accordion-fold (leporello) binding/ 蛇腹本・函入
Condition
New / 新品

残された本たちが
謎めいた写真家の素顔を
こっそり教えてくれる。

写真家ダイアン・アーバス(1923-1971)のプライベートな蔵書コレクションを記録した一冊。蛇腹折りの仕立てで、ひらくと8メートルを超える書棚の地平がひろがる。社会から疎外された者たちをまっすぐな目で撮りつづけ、突然の謎めいた最期を迎えた彼女が、いったんどんな本を読み、手離さずにいたのか、興味が尽きない本である。

かつてスーザン・ソンタグは、自分の書棚のことを「私の頭の中...私の脳の地図」と言った。その気持ち、よくわかる。個人蔵書はその人の頭のなかの延長で、それが網目のようにマッピングされた書棚は、持ち主の関心事が立体交差する地図なのだ。人によっては、プライベートな書棚を見られることは裸を見られるよりも、恥ずかしいことらしい。わたしは仕事で本を選んだり、陳列したり、書架を設計したり、出版を計画することがあり、これまでたくさんの個人蔵書をのぞき見る幸運に恵まれてきた。

ダイアンは写真家なので、書棚にはたくさんの写真集が並んでいる。ナダールやアジェ、ラルティーグやブレッソン、アービング・ペンやスティーグリッツなど、写真黎明期の名作写真集が背を連ねる。エドワード・スタイケンの『The Family of Man(人間家族)』など、ダイアン自身が関わったプロジェクトや取材記事を掲載した雑誌も点在している。それでも、献本のたぐいは少ないように見える。蔵書は、かなり厳選されていて、それぞれがゆるやかにいくつかの小さなグループに分かれている。それはダイアンがじぶんの身体の延長のように書棚と付き合い、本と深く交際してきた証だろう。友人だったアヴェドンのものは、アヴェドンがダイアンに贈った第34代アメリカ合衆国大統領アイゼンハワーの肖像写真が書棚からはみ出している。よく見れば、夫のアランや別の写真家が撮ったダイアンのセルフポートレートも本の隙間から顔をのぞかせている。不意に姿をみせるE. J. ベロック(E. J. Bellocq)の怪しい娼婦のポートレート写真や、サーカス団のアノニマス写真は、ダイアンが写真の参考にしていたイメージだったのかもしれない。

小説や文芸書、人文書もよく読んでいたようだ。ペーパーバックの多くは、何度も読んでいたせいか本の背が割れている。ざっと見渡すだけでも、ダンテの『神曲』、ホメロスの『オデュッセイア』、アイスキュロス『ギリシャ悲劇』、ヘンリー・ジェイムズ『鳩の翼』、プルースト『失われた時を求めて/スワン家の方へ』、ジョルジュ・バタイユ『エロティシズム』、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』、カフカ『審判』、ボルヘス『伝奇集』、リルケの『ドゥイノの悲歌』、セリーヌ『夜の果てへの旅』、ジェームズ・フレイザー『金枝篇』、ウィトゲンシュタイン『確実性の問題』、ヴァージニア・ウルフ『灯台へ』、ガルシア=マルケス『百年の孤独』、エミール・シオラン『実存の誘惑』、アボット『フラットランド』などの原書(もしくは英語版)が目に入ってくる。アルベール・カミュの『追放と王国』には「痒みに悩まされる女性(Woman tortured by agonizing itch)」と題した記事が栞の代用品として挟まっている。こんな代用品や転用品があったり、一見無関係そうなキャンドルやトロフィーや石ころが本と一緒に並んでいる景色こそ、個人ライブラリーならではの混沌とした魅力なのだ。

本の配置関係が気になって、やや俯瞰して見ると、たとえばブリューゲルとダヴィンチとゴヤの画集の隣に、マティスの切り絵が表紙を飾ったブレッソンの『決定的瞬間(The Decisive Moment)』が立て掛けてあって、その傍らには、アウグスト・ザンダーの肖像写真を切り抜いた雑誌を面陳している。ザンダーは、ダイアンが生前から比較されたり、参照されてきたドイツの肖像写真家だ。

またほかの一角には自ら撮影した祖母の遺影の隣に『The Tales of Genji(源氏物語)』の第1巻と第2巻があり、その隣にはジャン・ジュネの『Our Lady of the Flowers(花のノートルダム)』が、さらにその隣には兄で詩人のハワード・ネメロフの詩集『The Next Room of the Dream』が並んでいる。そうして本書のラストページには、ダイアンが亡くなった1971年の手帳がまるで墓標のように立ててある。

う〜む、やっぱり見るたびに味わい深い一冊である。
この書棚の主だったダイアン・アーバスの半生を少しふりかえってみたい。

1923年、ニューヨークのユダヤ人家庭に生まれたダイアンは、セントラル・パーク・ウエストで育ち、裕福な家にはいつもメイドと料理人、運転手と乳母がいたという。父親のデビッド・ネメロフはニューヨークの五番街で毛皮と婦人服の専門店「ルセックス(Russek's Department Store)」を経営していた。13歳のときに父親の店に出入りしていた広告写真家のアラン・アーバス(Allen ARBUS)と出会い、ダイアンが18歳になるのを待って結婚。2人の娘を産み(1945年にドゥーン、1954年にエイミー)、子育てをしながら、夫アランのカメラマン助手として『Harper's BAZAAR(ハーパーズバザー)』などのファッション誌の撮影を手伝うようになる。映画「毛皮のエロス/ダイアン・アーバス 幻想のポートレイト(FUR: AN IMAGINARY PORTRAIT OF DIANE ARBUS)」(2006年)では、この頃の内なる葛藤と写真家としての目覚めが描かれている。

夫のアランを介して写真と出会い、59年に離婚した後は、ベレニス・アボット(Berenice Abbott)、アレクセイ・ブロドヴィッチ(Alexey Brodovitch)、リゼット・モデル(Lisette Model)に師事しながら、写真家として自らの撮影スタイルを確立していく。1960年、雑誌「Esquire(エスクァイア)」誌にはじめてのフォト・エッセイが掲載され、1963年と1966年にはグッゲンハイム・フェロー(Guggenheim Fellowships)を受賞して、「アメリカの儀式、マナー、習慣」と題した連作写真のプロジェクトをはじめる。1967年には、ニューヨーク近代美術館(MOMA)写真部門のディレクターだったジョン・シャーカフスキー(John Szarkowski)が手がけた画期的な展覧会「New Documents」に、ドキュメンタリー写真の可能性をしめす3人のうちの1人(他の2人は、リー・フリードランダーとゲイリー・ウィノグランド)として選ばれ、これが決定的な転機となる。

ダイアンは、被写体をまっすぐにとらえた写真家だった。正方形のフォーマットに注目した彼女は、二眼レフのローライフレックスやマミヤC33を首に下げ、肩にはストロボを携帯し、ほかの人たちと変わらないあたりまえの生活をおくる「フリークス」の撮影に出かけていった。撮影スタジオに呼び込むのではなく、彼らの生活圏に足を運ぶのが彼女のスタイルだった。小人、巨人、両性具有社、精神病患者、見世物小屋芸人という奇異の目を向けられた彼らのことを、ダイアンは「精神の貴族」と呼んで、崇拝した。被写体の前に立ち、合わせ鏡のように正対のポジションを決め、まっすぐ真正面からストロボを焚いた。

彼女の写真には、賞賛も批判もあつまった。特に「不幸な人たちを撮影して食い物にしている」という批判が彼女につきまとう。40代半ばになると、うつ病と1966年に患った肝炎でボロボロになっていた。そして、芸術的で知的で不安定な日々に、あまりにも早すぎる幕引きがやってくる。「New Documents」展から4年後の1971年7月26日、ダイアンは日記に「最後の晩餐」という言葉を書いて、服を着たままバスタブに横たわり、手首を切った。伝説的な写真家として語り継がれている今となっては、およそ10年足らずと短いキャリアでもあった。生前に写真集は1冊もなかったが、没後に刊行された“Diane Arbus : An Aperture Mnograph"は、現在も世界中で版を重ねている。




写真家として初めてヴェネツィア・ビエンナーレの出品作に選ばれた快挙は、彼女の死の翌年のことだった。1972年から1975年にかけては、ニューヨーク近代美術館で大規模な回顧展が開催され、米国とカナダを巡回した。2003年にはサンフランシスコ近代美術館で大規模な回顧展「Diane Arbus Revelations」が開催され、2006年まで米国と欧州の美術館を巡回。ヨーロッパにおける大規模な回顧展は、2011年10月にパリのジュ・ド・ポーム国立美術館で始まり、2013年までヴィンタートゥール(スイス)、ベルリン(ドイツ)、アムステルダム(オランダ)を巡回した。2016年には、彼女のキャリアの最初の7年間(1956年から1962年のあいだ)の未公開写真に焦点を当てた展覧会「in the beginning」がメトロポリタン美術館の分館「メット・ブロイヤー(The Met Breuer)」で開催されて話題になった。この展覧会は、サンフランシスコ近代美術館、ブエノスアイレスのマルバ、ロンドンのヘイワード・ギャラリーに巡回。2018年には、スミソニアン・アメリカ美術館で「Diane Arbus: A box of ten photographs」展が開催された。写真が「真剣な」芸術として受け入れられる先駆けとなったダイアン・アーバスの半生は、いまも伝説として語り継がれている。

本書は、2003年から2006年にかけてサンフランシスコ近代美術館をはじめとする7つの美術館で開催された回顧展「Diane Arbus Revelations」で展示された個人ライブラリーの記録として刊行された。


«主な出版物»

Diane Arbus (Aperture, 1972)
Magazine Work (1984)
Untitled (1995)
Diane Arbus Revelations (2003)
Diane Arbus: A Chronology (2011); Silent Dialogues
Diane Arbus & Howard Nemerov(2015)
in the beginning(2016)
Diane Arbus: A box of ten photographs(2018)
Diane Arbus Documents(2022)



Text by 櫛田 理


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